大事にしていること。@O46(今後のハンドルネーム:オシムの意。)

大事にしていること。


どんなことにも興味を持つ。

どこでも楽しみを見つけ

どの環境も楽しむ。



夢を持ち続ける。

自分で持ち続ける。

心にこうありたいと描いていつも飾っておく。



家族を大切にする。

友達を、仲間を大事にする。

言わなくても、し続ける。



あきらめない、弱音をはかない。

逃げたい

と思っても逃げない。



笑う。

とにかく笑って

笑いを起こす。



人のことを考える。

間違ってても

自分が思う出来ることをする。



いろんなことを理解する。

自分と違うことを拒否しない。

ちがうことを受け入れる。




私が理想も含め、自分がこうありたい、
あるいは心がけていることはこのようなことです。

でも現実はそんなにうまくいかない。



どうしたって悲しくって楽しめないこともあるし、
夢は実現する見込みすらないことを思うと不安になる。

想っていても家族や友達や仲間に伝わらないことのほうが多いし、
実際には出来ない、逃げたい、楽したい。

さすがに笑ってることもやってらんないこともあれば、
人を想っても、から回ることばかりで、
大事なものを否定されれば受け入れることはできない。



そのたびに私は、自分は器量が小さいなあと思う。
自分がこうありたいことになんて、いつだって100%はなれない。
いつも未完成でくるしい。



ちいさいころ私は、完璧主義なところがあって、
いつでも「ちゃんと」していたかった。
ひとより完璧でありたかったし、
ひとより出来ないことは、なんとしても出来るようになりたかった。


それがだんだんと、出来ないことが増え、
完璧にしようとすると、その分労力も時間も無駄に費やすこととなった。


要は要領がよくなかった。
ことを知った。


大人になるにつれて、完璧へ向かうのだと思っていたのに、
完璧から離れるばかり、退化するばかりだ。


出来ないことを受け入れるようになったとき、
ちょっとした絶望感があった。劣等感も。


けれど、いつしか気づいた。
私にとって大事なのは、
ひとよりも完璧であること、ひとよりも出来ることではなく、
自分にしかできないこと、自分にとっての『大事なこと』を忠実に守ること、だった。


どんなことも楽しく思う。
叶わないかもしれなくても、夢はずっと心に留めておくこと。
相手がどうかではなく、自分が大切な人は大事にする。
逃げたいことがあっても、向き合う。
どんなときも、自分だけは笑っている。
人のために動く、自分に出来る最善を尽くす。
いろんなひとがいることを楽しいと思う。


それが正しいと、自分で思ったとき、アタマがとてもシンプルになった。
それ以外のことには、いい意味でおおらかになれたし、
自分がとてもわかりやすくなったような気がした。


いまや『大事にしていること』は、私の一生の目的であり、課題でもある。

大げさだけど、今はこれが私の生きる意味なのだと思う。



大切なもの、守るべきもの、自分のなかの、絶対というなにか。



限りないので、いくらやっても完璧なんて、一生こない。
だから、いつもきっとちょっとくるしい。


でも、完璧であることではなく、
自分にしかできない、自分にとって大切なことに
息切れするほど常にベストを尽くす。


そのくるしさが、わたしがわたしであるための『大事なこと』なのです。