春・花・目指すは【KY】

emanagement2008-03-28

■こんにちは。

 個人ブログを始めようとしてなかなか始まらない
 最近ウォーキングを趣味としているオシムです。


 本名は岡村優と申します。
 性別は女です。


 なんとなく、ちゃんと自己紹介をしておりませんでしたので…
 (↑今さら…)


■個人ブログを始められない鬱憤をこの社員ブログにて晴らす。
 (↑できてないのは自分のせい)


 最近ウォーキングが趣味といいましたが
 (↑続行)
 春を感じる今日この頃。


 先週の日曜日の段階ではまだウチの近所のソメイヨシノ
 先っぽだけチョンモリと一分咲きでしたが
 いまやわんさか咲き乱れていますね*
 

 サクラといえばお花見。
 我が社でも恒例の行事だそうですので、本年も行われることになりそうです。
 (燃える方がいらっしゃいますので☆*)


■歩いていると道端には様々なお花が咲いていました。


 ○おうちの囲いのなかで育っているパンジー
 ○歩道の脇に順序良く並んでいる椿
 ○畑に密集してもっさり咲き乱れる菜の花
 ○川沿いに自然に咲いたホトケノザ


■花を見ていると久しぶりに花によく触れていたころを思い出しました。


 ちいさいころ(今も小さいから!とゆー山崎さんの声は押し切りつつ)
 背が低いからでしょうか、なんとなく人よりも目線を地面に向けて歩いていて
 よく花を見つけては花で遊んでいました。


 ○シロツメクサで編む花飾り
 ○つつじの甘いみつ
 ○ぺんぺん草で作るペンペン太鼓の音
 ○たんぽぽをちょん切ると出るボンドのような白い液
 ○歩いているとなんとなく香る名前も知らない花のにおい


■無意識に、五感を(時には第六感も!?)フルに使っていた昔。


 そんな頃から自分はちっとも変わっていないと思っていたけれど、
 思い出してみると意外と忘れかけていたのかも、ということにどきりとしました。
 

 そういうことを世間では大人になった、というのでしょうか。


 ちいさいころの不思議がいまでは当たり前になる。
 もしくはわからなくてもそういうものだ、ということにしてしまう。
 五感も必要がなければ使わなくなる…


 そうしてどんどん鈍感になっていく。
 五感そのものが衰えているのではなく、それに気づく感覚が衰えているのです。

 
■『大人になった』からこそ気づく感覚が必要なのではないか。


 たしかに今や、周りのすべてを敏感にとらえられるほど自分の世界は狭くない。
 

 けれども、今、社会で最も求められている『コミュニケーション能力』は
 ひとや物事に対し、いかに敏感に反応、対応出来るか、
 ということを問われているのではないかと思うのです。


■最近(ちょっと前か)流行った【KY(空気 読めない の意)】


 【KY】があんなに流行ったのは、言葉を作ってみたら
 ひととの日常生活のなかで【KY】という言葉に置き換えられる場面が
 あまりにも多かったからではないでしょうか。
 
 
 そしてそれだけありふれている【KY】こそ、
 『コミュニケーション能力』の衰え、『鈍感』の結果なのではないだろうか…

 
 それならば。


 わたしが目指すは【KY(空気が読める)】だな。


 そのためには気づくこと。
 日常を当たり前にしないでいつでも新鮮な空気を自分に取り込む。
 そうして感覚の精度を高める。


 そんなことを心がけてみようと思います。


 ………こんな個人ブログな社員ブログ、もはや【KY(空気 読めてない)】

 
以上、オシムの部屋でした★*


またのお越しをお待ちしております。。。