*大仏の背中*探してます。

emanagement2008-05-09

こんにちは!
毎度おなじみオシムです☆
…毎度アップの遅いオシムです…すいません…



皆さん、ゴールデンウィークは楽しめましたか??


私は胃や腸を痛めたものの、結構楽しむことが出来ました。
(胃が弱いんです…でも最近ビールが美味しいんです)



今回はコーヒーブレイク。
仕事のことは忘れて、わたしのゴールデンウィークの思い出話を…
(↑いい加減、会社ブログに個人ブログを載せるのはやめてください、
 という苦情、お待ちしております。)



中でも楽しかったのは、家族で出かけた鎌倉でした。
(↑相変わらず続行。)



私は神奈川県在住なので(少しずつオシムデータ公開)
鎌倉はご近所の観光地。



最近ではふた月に一度は足を運ぶほど、好きな町なのですが、
実は家族で出かけたことはなく。
母は鎌倉の大仏にお目にかかったことがないらしく。
家族4人、仲良く鎌倉へ…



しかし。しかしですよ。


GWの観光地をなめちゃあいけない。



鬼混み!!!!!!!!!!!!!



藤沢から江ノ電に乗るのに1時間以上かかるといわれ、
JR線を使ったものの、車内は平日の通勤電車並み。


ぎゅうぎゅうの車内を抜けて、鎌倉に到着しましたが、
鎌倉からも江ノ電は乗れず…



大仏。



大仏。。



そうだよね、大仏に会いたいもんね、おかーさん。



と、その時、大仏行きバスを発見!!!


これもまたコミコミでしたが、大仏に会うためです、
必死の思いでバスにて大仏到着。



母「写真撮るから並んで!」



いい場所を見つけたらしく父と姉と私を並ばせる母。
笑顔でデジカメの画像を見せる母。



良かったね、大仏に会えて。



撮った画像を覗く私。
って、大仏写ってないジャーーーン!!



母「えっ!?だって大仏はまだでしょ??」



アンタが3人の背景にした木の向こうに、もう居るんだよ、大仏。



母「わーホントだー、大仏さまだー!!」



喜ぶ母。



大仏の前でひとり立たされでシャッター押される父。



あれにはなるまいと遠目からみる姉と私。


母に手招きされる姉と私。


気づかないフリをする姉と私。



そんな攻防戦の末、仕方なく大仏に近づく。



すると、



父「今度はおかーさん、大仏の背中が見たいってゆってるよ」



お。そうだ。



皆さん、大仏の背中って、どうなってるか知ってます?


窓がついてるんですよ。



換気の為なのでしょうが、
小学六年生のときに初めてそれを見た私は結構ショックでした。
夢を壊すとゆーか…よくわからないけれど。



もちろん悪どいムスメ。

(母の夢、壊したろー☆★)



私「ねえね、大仏の背中ってどーなってるか知ってる?

 (母の背中を四角く窓の形になぞりながら)
  こーんな窓がついてるんだよー??」



すると母。
あせった様子で一言。



母「…え!?お母さんに!!??

 (自分の背中に手をまわし、なにかを自分の背中から取り払おうとする母

                     でもうまく手が回ってない母)」



なにが?


なんで?


あなたに窓がついてるわけがないでしょ?


逆に聞くけど今まで50年以上生きてきて、背中に窓ついてた事あった?


てゆーか窓ってなに??



速攻父と姉に母の失態を公表。


危うく鎌倉・大仏の後ろにて、4人の笑い死者が出るところでした。



そんな日帰り鎌倉の旅は、江ノ電は終始混みすぎていて、
結局ほとんど乗ることができなかったので、
足を痛めながらも、ただひたすら海岸沿いを歩きました。


父と母は手をつなぎ、
姉と私は今とこれからの話をしながら。



それでもそれぞれの仕事の都合で4人そろうことが滅多にない我が家にとって、
それはそれは本当に楽しい旅となりました。



ひょうきんで仲の良い父と母と、大親友の姉。
一緒に楽しい時間を過ごすことができるのは一生のうちであとどれくらいだろう。



その、そう少なくもないだろうけれど、
そう多くもない時間を思うと、なんだか切ない。



ようやくたどり着いた海辺のレストランのテラス席で、
ビールでぼんやりとした頭の中で、夕日と海を目にうつしながら
そんなことを考えていました。



日々は、簡単にするする過ぎてゆくけれど、
二度と同じ日は戻っては来ないし、
一緒に過ごすひとも環境もきっとどんどん変わってゆく。



気がついたら毎日に夢中で、
水を蛇口からまっすぐ、排水溝に流してしまうように、
気に留めることなく日々を流してしまうときもあります。



けれど当たり前な毎日の、
楽しかったり辛かったり嬉しかったり寂しかったりする日常の中に、
じつは貴重で大切な、煌く瞬間がある。



それらをきらきらと少しずつ、丁寧に、大切に、自分に積もらせてゆくことが
きらりと瞬く自分を創るのだと、私は思うのです。



大仏の背中は、本当は哀愁たっぷりだけど、
私には可笑しい。
きっといつまでも可笑しい。



そんな大仏の背中を、私はこれからの人生でいくつ見つけることができるだろうか。
できればずっと、きらきらを見つけられる人になりたいなあ。



そんなことを思った、五月の一日だったのでした。



*お わ り*