幸せのかたち。 *オシム*

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ほらみて、おとうさん。
こんなにお天気なのに、雪が降ってるよ。

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長野から妙高高原駅までは、信越本線を利用する。
名称どおり、信州と越後、つまり長野と新潟を走る鉄道である。


車内はスノーボードが入る鞄を持った若者や、
スキーの板を抱える小さな子供を連れた家族連れで賑わっている。


わたしはその妙高高原に向かう電車にひとり、
二人席が進行方向とその反対方向に向かい合わせに固定された座席の
進行方向と反対方向側の窓際に座り、
東野圭吾の『手紙』に集中していた。



新宿から長野までの高速バスの車内でも読んでいたので
続きがたまらなく気になったためである。


バスは予定より早く到着したので、予定より1本早い電車に乗った。


読書に熱中すると周りが見えなくなる私がその言葉を捕らえたのは、
高速バスの途中、長野駅の手前のサービスエリアで
私が心の中で言った言葉と全く同じものだったからだ。


最近のサービスエリアは、『道の駅』とか呼ばれるものもあるそうで、
とてもきれいで便利に作られている。


そのサービスエリアは、2階建てになっており、
温泉までついていそうな雰囲気があった
(実際にあったかどうかは確認していないのでわからないが)。


用もないのにサービスエリアでバスが止まるたびに外出する私は、
運転手指定した『15分』を、お土産を眺めたり、
露店の食べ物を覗いたりして過ごしていた。


5分前のころ、外に出ると、出口のすぐそばに板張りのエリアがあった。
その先には池があり、その手前まで建物から屋根が伸びている。
ベンチが並び、灰皿が置いてあるところを見ると、喫煙コーナーらしかった。


そのベンチから池を眺めてみると、生物がいるか探す前に、
池の上を舞う、時代劇にでてきそうな白いのが目に入ってきた。


最初本気で誰かが、もしくななにか機械がわざと舞わせているのかと思った。
すごく違和感、というか不自然な感じがした。


あまりにお天気だったからである。


でもすぐに、ここで人口雪を降らせるメリットがない、と思い、
すぐに本物の雪と私の頭も判断した。

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わー見てみて、おとうさん。もうこんなに真っ白。
先が何にも見えないよ。

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長野を出てしばらくすると、だんだんと雪が濃くなり、
次第に車窓は吹雪を映した。


本に目を落としながらも、私の耳はすっかり
進行方向を向いた2人の声に集中し始めていた。


ふいにちらりと2人の顔を覗くと、
私の両親に近い年齢と見て取れる夫婦らしき姿があった。


特にウィンタースポーツを楽しむために来た様な装いでもないので
夫婦で温泉旅行にでも出向いたのだろう。
耳によく入ってきた声の主は、少女のようにはしゃいだ様子で
しきりにとなりの男性に、窓の外や思い出の話を投げかけている。


ついには、少し声を落として私の手元にまで話が及んだ。

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みて。あの手袋、指先が出てるよ。
あれは便利ね、きっと。ものをとるときに。
先まであると滑るじゃない?
…あら、買ってくれるの?ふふ…どこで売ってるか、見たことあるの?

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目の前にいる人の噂を出来る強さを、年を重ねた女性というのは持っている。


となりの男性は、少女のような女性の言葉に、
ただただ笑顔で答えていたのだった。



結局、わたしは妙高高原までの車内、東野圭吾に集中することは出来なかった。
無論、目の前の夫婦の会話に耳が集中したためである。


別に腹立たしかったわけでもなく、あきれたわけでもない。
強いて言えば、素敵だと思い、また、重なったのだ。


うちの父と母は、私が社会に出てから、たまに二人で出かけるようになった。
といっても、母が父の単身赴任先に会いに行き、
その地で美味しいものを食べたり、いい湯に浸かったりしている程度のことだが。


二人の旅行なので、写真も一人ずつ、お互いを撮っており、
中高年の男女が岩場をバックに一人写る写真なので、
特に父はいつも不自然な笑顔である。


それでも旅行から帰ってくる母はいつものろけ調子で、
お父さんがああ言ってくれた、どこ連れてってくれたと、
それこそ少女のようにはしゃぐのだった。


写真と母の土産話と、二人の雰囲気を継ぎ接ぐと、
自然と目の前の夫婦と重なってならなかった。
二人でいるときの父と母は、きっとこんな二人だ。



妙高高原では、私はちゃんと若者らしく、ウィンタースポーツを楽しんだ。
現地集合した仲間は、かつてバイト時代に一番息も気も合った4人組で、
本当に終始、楽しく過ごした。




帰り道、また妙高から長野へ、同じ道を走る車内で、
何度かトンネルがあったことに初めて気づいた。




昨日、家に帰ると、テレビで『そうか、君はもういないのか』という
小説のドラマ化したものをテレビで放送していた。


その中で、城山三郎氏役を演じた田村正和が、
死を目前にした妻のいる病院の前で息子に言ったセリフが印象的だった。



「幸せとは意外と単純なものかもしれない。仕事と伴侶と、それだけだ。」



幸せのかたちはひとそれぞれ。
なにに重きを置くかも、なにを愛するかも、
またその時期や時代やタイミングによっても変わるし、
どれが正解なんてない。
そう自分が思えば、それが正解なのだと思う。


でもわたしは、やっぱり人が自分の心地いいところに
落ち着いて一生を終えるのが、最高の幸せだと思うし、
そういえば、人のその様を見るのも、わたしはきっととても好きだ。


父や母や、雪にはしゃぐ車内の二人のように。


だから特にわたしの周りの人にはそうあってほしいと願う。
自分がどうにかできるのであればしてやりたいとも。


まあ、ある程度までしか無理なので、あとは個人の努力なんですけど。


でも応援はする。
頑張れ!みんな、自分の願う、幸せになれ!!



皆さんの、幸せのかたちはなんですか?